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前川ブログ

中国最新事情

今年2008年は北京オリンピック開催年。昨年秋に約1週間、中国を訪問したのでオリンピック前の北京を中心に中国最新事情を報告します。

44年前の東京が「三丁目の夕日」に描かれているように東京オリンピックを目の前にして新幹線を始め各種競技場の建設ラッシュで大きな期待と希望が入り混じった状況と同じように、今北京はまさに期待と希望に満ちて国を挙げて建設ラッシュの様相を呈しています。

北京は、1258年に元朝の首都となり明・清から現在まで750年も続く歴史的な首都。東京都の面積2,102k㎡人口1,258万人に対し、北京市の面積は16,411k㎡で東京の約8倍、人口は戸籍1,181万人(常住1,538万人)で約1.2倍(2005年)である。北京の街は環状高速道路が2,3,4,5環と広がり現在オリンピックを前に6環が急ピッチで建設中である。

歴史のある故宮(紫禁城)の城壁は喧々諤々の議論を経て、現在は取り壊され高速道路2環と地下鉄2号線となっている。

中国は、共産主義国家ということで土地の個人所有を認めていない。土地の所有権は、全人民所有の名のもと都市部は国家が、農地と農業従事者の居住地は農村地方団体経済組織に帰属する。

民間の個人、法人は土地の使用権(所有権ではない)が認められており(1)居住用70年、(2)工業用50年、(3)商業用40年、(4)教育・文化50年とそれぞれ最長が定められており、土地の使用権は譲渡、転貸、抵当が可能。マンション等は開発業者が国から借地後、建物を建設し個人に分譲する。つまり日本の「定期借地権付建物」そのものと理解すれば良い。借地期間の地代は借地時に業者が一括払っているので地代は不要。「不動産管理法」第21条で「土地使用権は公用の用に供さない限り、更新されるべく」と定められており期間が満了しても更新されることになる。

北京の街は故宮(紫禁城)を中心に東側は空港に近くて大使館も多く高級住宅地域で不動産価格も高い。日本でいうと麻布界隈。オフィス街も広がり高層なビルも連担するが、上海、香港のような超高層ビルは少ない。北側は北京大学、清華大学が所在し人気の住宅地域で、日本でいうと世田谷、大田区界隈。大学教授、医師なども多く居住する。西側は庶民の居住地域である。特に南は不動産価格が安く比較的低所得者の居住地区である。北側からの風により黄砂やほこりが南側に溜まり、吹きだまりになっており住環境が良くないことに由来している。

貨幣の単位は「元」で約1元≒17円。デパートやスーパーで北京の物価を見ると日本の約3分1程度の感覚である。北京市民の平均世帯所得は年間約4万元(約70万円)。物価を考慮して約200万円程度。5環と6環の間(都心まで通勤約1時間)で70㎡程度の新築マンションが70万元程度で年収の約17倍。サラリーマンはとても買えない。6階建エレベーターなしの最安値マンションが30万元で年収の約7.5倍でやっと購入範囲。あとは6環の外に行くか、狭いマンションを選択するかしかない。

中国には「房奴」なる言葉がある。房は家のことで住宅ローンの奴隷の意味。

サブプライム問題は米国の低所得者の住宅ローン問題で、どこの国でも庶民は住宅ローンでたいへんである。

北京のマンションは階層別の分譲価格が日本とは異なる。日本では最上階が最も高く下層に従って価格が下がるが、北京の30階建分譲マンションを例にとると29階が最も高く30階の最上階は20階の価格と同じとの事。最上階が安い理由は雨漏りのリスクが高いからで、施工技術が未だ問題があることを物語っている。知人が北京で分譲マンションの最上階を購入したが雨漏りで苦労しており、そのことを事前に知っていればと嘆いていた。そのマンションには下駄箱がなかったのでそのことを施工業者に話したら建物を支える構造部分のコンクリートに穴を開けて作るといわれ慌てて断ったと言っていた。何年か前に韓国でデパートが一瞬にして倒壊したことが報じられたが、中国でもその危険性があるのではないか。中国は「食物だけでなく建物、おまえもか」といった趣。日本も最近食物や建築に関し他国を批判できる資格はないが。

中国のニュースで必ず映像がでる天安門広場は100万人の集会可能。人民大講堂は日本の国会議事堂にあたるが議員は3,000人との事。地方の役人も参加して10,000人参加可能な会議場があり食堂は5,000人が同時に食事可能との事。5,000人が注文したら調理場はどんな状況になるのか一度見てみたいもの。

現在、日本の国会議員は衆参合わせて727人、国会議員らの手に渡る直接費だけで800億円にものぼる。一人1億円である。米国では下院、上院合わせて535人、人口あたりの議員数は米国の約3倍、中国の2.4倍。日本では議員定数を決めるのが国会議員、システムに問題があると思うが如何に。

故宮には24万坪の敷地に3,300の建物が配置されているそうである。修理補修だけでも想像を絶する。

故宮の西側に湖に囲まれた森が見えたので質問すると「中南海」とのこと。70㌶ありその半分以上が湖。現在は中国共産党や政府の要人の住居地域。かつては田中角栄が毛沢東と会い、文化大革命を操った江青ら四人組が逮捕された場所。また、天安門事件騒ぎで民主化を求めた学生たちが押しかけたのも、法輪功が座り込みをしたのも中南海で、歴史上の舞台として有名とのこと。

文化大革命で中国の経済発展は20年遅れたと言われているが鄧小平が経済発展を20年進めたとも言われ鄧小平の人気は高い。北京の若者達は日本の人民は好感が持てるが日本政府は嫌いとも言っている。     

そして毛沢東は嫌いと明確に意思表示している。天安門に掲げられている巨大肖像画は将来的に取り外されることになるのだろうか。

北京郊外にある世界遺産が万里の長城である。築城が数百年も続いたといわれる万里の長城はその大きさから「月から見える唯一の建造物」とも言われていたが、2004年12月に宇宙空間から肉眼で観測することはできないと中国科学院により否定されたとのこと。北方騎馬民族の侵略に備える目的とは言え、万里の長城は東西に約6350㎞、北海道・択捉島から沖ノ鳥島(最南端)まで直線距離で約3000㎞なので往復できることになる。途方もない人工建造物である。

中国人の好きな歴史小説は1.紅楼夢、2.西遊記3.三国志演義、4.水滸伝とのこと。日本では紅楼夢以外は広く知られているが紅楼夢を知る人は少ない。金瓶梅がなかったのも意外であったが中国で最も人気が高いのが紅楼夢だそうで当時の上流階級の日常生活が描きこまれて当時の社会に対する批判的色彩も帯びているそうで機会があったら手にしたい。

中国の女性が結婚相手に求める条件は1.マンション所有2.車所有3.親の社会的地位4.本人の仕事、だそうで、すべてない男性は女性に見向きもされず全くもてない。人柄、やさしさといったどこかの国とは異なりすべて経済的な要素である。職業で人気のあるのは役所、警察、大学、有名学校教師、有名企業。役所は給料が良いので人気があるが50人募集すると、内20人はコネで入る。コネ全盛時代、それが今の中国である。みんな人脈作りに熱心である。 

ガイドの張さんのお嬢さんは今、小学校5年生。本来の入学年齢は6歳とのことだが、共稼ぎで忙しいので5歳の時に小学校に入学を申し込んだら断られたとのこと(当然と思って聞いていた)。そこで友人経由で小学校校長に依頼したらもちろんOKで1年早く入学したとのこと。個人の権限が大きく組織的なチェック機能がない現状をつぶさにした。

運転免許取得も約2月近く要するとのこと。安全が優先するため中国では厳格に審査するとのこと。張さんは現在免許をもっていないが、自分の友人が教習所の責任者なので自分が頼めば数日で取得することが出来ると話していた。「安全が優先するため厳格に審査する」はどうなったのと質問すると「免許を貰ったら安全を優先して慎重に運転します」と平然と返してきた。

また張さんのアホな友人が民間会社の副社長を10社以上兼務しているという。父親は政府の高官で、会社にトラブルがあると父親に連絡して解決してもらう。父親が謝礼を貰うわけでないので犯罪にはならない。本人は大半の会社がどこにあるかさえ知らないそうである。日本でも1960年代の交通違反はコネで取り消し可能がまかり通っていたことを考えるとあながち他人事ではない。東京オリンピック前に似ていると言えなくもない。

重慶の役所の定年は女性55歳、男性60歳で残業はほとんどないとのこと。残業代は通常の2倍、春節(旧正月)は3倍に定められており基本的に残業はさせないそうである。

重慶の警察官に張さんは怒り心頭であった。早朝泥棒に入られすぐに連絡したが、来たのが午後。ろくに話も聞かず、すぐに帰ったとのこと。泥棒を捕まえてもお金にならないからやる気は全くないそうである。中国では賭博は禁じられているが、麻雀の掛け金1回50元以内なら犯罪にならないそうである。しかし多額の賭麻雀を摘発し、目こぼしすると賄賂が懐に入るので熱心だそうである。

重慶は日本人に三峡下り観光の出発地として知られているが、重慶市の人口は公式には3144万人と発表されている。しかし重慶のガイドは4,000万人といい上海のガイドは5,000万人という。その人口の多さと数のいい加減さにはスケールの大きさを感じた。戸籍に登録しない「黒孩子」が全土で1500万人を超えることを考えると正確な人口は把握すること事態が困難なのかもしれない。

重慶は霧の日が年120日に及ぶことから「霧の重慶」という別名がある。中国一の美人の産地とのことであったが、ご多分にもれず世界遺産の「頂宝山」で出会った重慶からの若い女性の一行はモデル級の美人揃いであった。日本でも秋田、新潟が美人の産地で有名であるが日本海側の冬季にはどんよりとした曇りか吹雪が日常で太陽が顔を見せることはまれである。古今東西、気候のよくないことが美人を産出する条件のようである。

街のいたるところで棒と紐をもった人たちに出会ったが地方からの出稼ぎ農民との事。

重慶は傾斜地が多く階段等を中心に荷を運ぶ荷物運搬人であった。市場でも階段の荷物運びはもっぱらこの荷物運搬人。1回の運搬で如何ほどの報酬なのかは知らないが、この出稼ぎで稼いだ僅かばかりの仕送りが農村に残した子供たちの学費となって、将来の中国を支える人材育成の基礎となってほしいもの。

中国の人口は約13億人、日本の人口1.3億人の約10倍、06年の日本1人当たりGNI(国民総所得)38,410ドル(世界第9位)に対し中国1人当たりGNI 2,010ドル(世界第129位)で、日本の約5%であるが、02年の1,100ドルからわずか4年間で倍増した伸び率は驚異的である。8億人を擁する農民の所得が低いので所得水準全体を押し下げている。                   

中国通の知人によれば中国の所得上位10%の構成と日本人の所得構成がほぼマッチしているとのことである。中国全体の所得水準は低いが所得上位約1.3億人は日本人と同水準もしくはそれ以上の生活を享受できる人々がいるということである。事実、日本のコシヒカリが中国では10kg15,000円で販売されている。日本の約2倍で、とても日本人には買えない。いや、我が家では購入できない。

上海の「新天地」(上海の繁華街)では一杯750円のコーヒーを楽しむ富裕層に目を見張った。ドトールコーヒー180円愛飲者の私自身決死の覚悟で注文し、お替りを頼んだら再度750円払わされ驚愕した。物価を考慮すると一杯約2,250円のコーヒーを飲める上海市民がいて茶房経営が成り立っていることになる。一杯約2,250円のコーヒー店、日本では即日倒産である。中国国内の所得格差を実感した。

北京訪問に際し、午前の北京行き全日空便が北京空港閉鎖(視界不良による)により韓国上空でUターン、夕方再度成田を出発し北京に降り立ったのだが、市内は大気汚染や霧や黄砂等の影響でいわゆるスモッグ状態が北京滞在中、日常的であった。北京の大気汚染は深刻である。

今回、北京大学で特別講義(日本語で話し紀延許教授による同時通訳)の機会を得て、日本の土地価格の最高峰に君臨する「銀座の収益価格」について北京大学の学生や院生に講義、「銀ブラ」なる言葉があると触れたら、北京でも「銀ブラ」を真似て「王(ワン)ブラ」(北京の繁華街:王府井ワンフーチン)なる言葉が一般化しているそうである。真似るのが上手い国民である。  

日本に来た中国の観光客(もちろん富裕層)は銀座のショッピングを楽しみ香港より安いと評判のブランド品を買い回るそうである。銀座における最高水準の土地価格を維持しているのは260店を超えるブランド店の高額賃料がベースで、中国の観光客も日本の土地価格に大いに貢献しているかもしれない。

尖閣列島の領土問題や東シナ海ガス田問題に係る最近の中国の対応にはいやらしさや巧妙さを感ずるのは私一人ではないと思う。しかし日本と中国の長い歴史を考えると日本の文化の根源に中国の影響を感じずにはいられない。

日本の言語である漢字はもともと中国からの頂きものである。その後、漢字を崩してひらがなという日本独自の言葉を生みだした日本人も偉大だが、漢字がなければひらがなも無かったわけで、漢字を生み出した中国人のDNA恐るべしである。中国人は麻雀を、日本人は花札を遊びのゲームとして考案したがその奥深さや想像力の違いはなにか。

我々の主食である米にしても中国・雲南省で野生米として発見され中国で食料用に改良され、縄文時代に日本へもたらされた。中国で生まれ育まれた米を今度は日本人が品種改良しコシヒカリとして輸出し中国の富裕層の味覚を満足させていただいているのは大変結構なことである。

四川省・成都のマーボ豆腐は本場で大変美味だったが、白米はおいしくなかった。チャーハンにしてもらってなんとか食べられる程。成都といえば三国時代の「蜀」の国、劉備玄徳や諸葛孔明はこのまずい米を食べて曹操と戦を続けていたのかと想像すると、普段おいしいお米がいただける日本にそして亀の尾(コシヒカリ、ササニシキの元種)に感謝である。

日本人は宗教をもたないといわれるが葬式、お盆、墓参り、法事、何かにつけて仏教は生活に溶け込んでいる。中国で花開いた仏教も最澄、空海等が遣隋使、遣唐使を通じて中国から教えを受けたものである。中国の高僧・鑑真は日本からの招聘に命を賭け12年間に5回の渡航を試てことごとく失敗・失明ののち6回目に67歳で来日し奈良・唐招提寺を創建し教えを広めた。このように日本文化の根源は中国の文化が大きくかかわっているのである。言語、お米、仏教をもたらした国、中国に心より謝、謝。

今後ともコメのように両国が切磋琢磨してより良いものを提供できる関係に、そして隣人としてお互いの信頼が構築されることを祈って筆を置きたい。

前川賢治 記